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東京高等裁判所 昭和44年(行コ)3号 判決

控訴人(被告) 市川宗貞

被控訴人(原告) 荒木則夫 外六名

主文

原判決を取消す。

被控訴人らの本訴請求は、これを棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上ならびに法律上の主張、証拠の提出、援用および認否は、控訴代理人において

一、昭和四一年度飯能市一般会計・特別会計予算書中、終末処理場建設費の工事請負費の説明は右請負費によつて施工される代表的な工事だけを列挙したものであつて、かかる措置は予算説明についての通常の慣行にしたがつたものであり、その予算の審議にあたつて特に質問のあつたものでない本件において、総額七三六〇万円の三百分の一にすぎない二五万円の本件銘板の工事についてまで、細かく予算の説明をするようには法律上要求されていない。また。予算で款、項に総括決定されたその細目(目、節)である本件工事請負費の範囲で、その目的の工事をよりよき工事たらしめるに個個の部分をどうするかを決めることは予算執行者の権限に属することがらであるとともにその義務でもある。終末処理場管理棟入口の噴水のしつらえてある処の上の壁に本件銘板をはめ込んだことは、玄関の体裁を整えたものに他ならず、本件銘板に前市長の胸像およびその偉業を偲ぶ旨浮彫にしたことは、その政治生命をかけ、自らの命まで注ぎ込んで終末処理場の建設にあたつた前市長の功績に対する一般市民の感謝の感情を永くとどめる趣旨に出たものであつて、控訴人が本件銘板を終末処理場にしつらえたことは、装飾としてもまた記念すべき事業の完成のしるしとしても、妥当な処置たるを失わないものである。したがつて、本件銘板に関する費用が終末処理場建設費の工事請負費に含まれるにつき、なんらの障碍もない。

二、昭和四一年度の当初予算を補正、決定した昭和四二年二月の臨時市議会においては、本件銘板の工事費の支出が違法であるという追及が一部の議員によつてなされているという事実が公けになつていたにもかかわらず、市議会は多数をもつて、本件銘板の工事費も含まれるという市の執行機関のなす説明を了承し、終末処理場建設の工事請負費予算を可決した。このことは、市議会が本件銘板の費用(金二五万円)がはじめから予算に組入れられていたことを確認したか乃至は本件銘板の費用を工事請負費から支出したことを遡及して承認(追認)したものであつて、右いずれにしても飯能市長である控訴人のなした本件銘板費の支出行為は市議会、すなわち住民の意思によつて適法であると判断されたものである。右住民の意思は尊重されなければならない。

と述べ、新たに当審において乙第七乃至第九号証を提出し当審証人木崎和三郎の証言を援用し、

被控訴代理人において

右乙号証の成立(第九号証については原本の存在を含む)をいずれも認めると述べたほか、

すべて原判決事実摘示欄に記載されているところと同一であるから、右記載をここに引用する(但し原判決書三丁裏四行目および五丁表八行目、同裏八行目各冒頭に抗弁とあるは、抗弁とは認められないから、右文字をいずれも削除し、同六丁表五行目昭和四三年は、昭和四二年の同六行目昭和四二年一二月五日は昭和四一年一二月五日の各誤記であること明らかであるから各訂正する)。

理由

被控訴人らが飯能市の住民であり、控訴人が昭和四〇年八月以降現在に至るまで飯能市長であること、控訴人が、市長として、昭和四一年五月頃、訴外小川工業株式会社との間で本件銘板の製作供給の契約を締結し、右契約上の義務の履行として、同訴外会社が同年六月、本件銘板を飯能市の終末処理場管理棟の正面入口の壁に設置し、控訴人が同年一二月五日、同市の収入役をして右訴外会社に、その製作設置費金二五万円を市の公金から支払わしめたことについては当事者間に争いがないところ、

被控訴人らが、控訴人のなした右金二五万円の支払はなんら適法な予算措置のないままになされた違法な公金支出行為である旨主張し、控訴人がこれを争い、右金二五万円は、昭和四一年度飯能市下水道特別会計予算(款)1事業費、(項)2終末処理場費、(目)1終末処理場建設費、(節)15工事請負費金七三六〇万円中に含まれているものである旨主張するので、まず、この点について判断する。

昭和四一年三月飯能市議会で、議決をみた昭和四一年度飯能市一般会計・特別会計予算書(所謂当初予算)中、飯能市下水道特別会計予算の歳出の部は、款、項、目、節に区分され、款1事業費、項2終末処理場費、目1終末処理場建設費中の節15工事請負費が金七三六〇万円と計上されていること、ならびに昭和四二年二月に開かれた臨時市議会において、右下水道特別会計の減額補正予算が提出、審議され、その際、市当局が本件銘板の工事費金二五万円は、専ら市の財政負担となる事業費(以下単独事業分という)として、予算の枠から支出とみているものである旨説明したことについては、いずれも当事者間に争いがない。

ところで、成立に争いのない乙第一号証(昭和四一年度飯能市一般会計・特別会計予算書)によれば、前示工事請負費金七三六〇万円については、その予算説明として、曝気槽、沈澱池、機械の費用である旨の記載しかないことが認められるが、同時に原審証人小山次郎、同岩沢邦雄の各証言によると、飯能市では、従前より、その予算の説明として、市当局も、市議会も、款および項はこれを明らかにするが、目および節は、右款項の根拠を説明する必要範囲において区分説明するにとどめ、説明を求められれば兎も角、そうでないかぎりその内容を更に詳細に説明することなく、予算の審議を終えてきていたこと、前示工事請負費金七三六〇万円については、予算審議を附託された委員会でも、本会議でも、右認定のとおり予算書に説明をみている以上に詳細な内訳の説明が求められないまま承認、可決をみたことが認められるのみならず、上掲小山、岩沢の各証人の証言に、成立に争いのない乙第五号証、原審証人油谷正治、同増島弥吉、当審証人木崎和三郎の各証言および原審における被控訴人荒木則夫尋問の結果(但し、本人尋問の結果については後記措信しない部分を除く)を綜合すると、飯能市にあつては、昔から汚水はすべて入間川に放流されていたため、入間川の汚染が年毎にひどくなつており、前市長増島徳はこれを憂慮して、はやくから市が終末処理場を築造して、衛生環境の改善を計るべきことを提唱してきたところ、漸く、昭和三八年度に国からこの建設事業に三分の一の補助金の交付をうけられる見込がつき、飯能市は、総予算三億三千万円、昭和四二年度までの五ケ年継続の事業として終末処理場建設にとりかかつたこと、従つて、右建設事業は、毎年、その年度に国からどれ程の補助を獲得しうるかによつてその年度の施工工事が具体的に決められる一方、国は市の提出するその年度の予定工事につき、補助に値するかどうかを工事別に審査し、合格した工事に対してのみ補助金を出すことにしているため、飯能市としては、年度初頭の予算の編成にあたり、まず、国(所轄官庁として厚生省)に対して右審査になるべく合格するような種類の工事を挙示して補助金の申請をなし、厚生省の示す内々の補助予定額によつて、一応、当該年度に交付をうけうる額を予定し、その三倍をもつて予算総額として終末処理場建設費予算を組まざるを得ない立場にあつたこと、昭和四一年度にあつては、右内示額が二五〇〇万円であつたので、これを基準にして、一応総額七七六六万八〇〇〇円の同処理場建設費予算を作成し、市議会に提出したが、終末処理場は、既に、昭和四〇年四月からその運転(作業)を開始していたので、それに伴う一部工事は、国の補助のあるなしに拘わらず実施しなければならない事情にあり、この面から、市は右計上の終末処理場建設費予算中に万一にも国の補助金を得られない工事に対しては専ら市の財政負担をもつて実施する分(単独事業分)のあることを含めて、ただ上記事情により、その額およびそれをもつてする工事の種目などについては、なお確定し得ないまま、それを明らかにすることなく、予算案の審議を市議会にはかつたものであること(この点について、成立に争いのない甲第五号証は、原審における被控訴人荒木則夫本人尋問の結果によれば、終末処理場建設の費用はなるべく国の補助金によつてまかなおうという意図をもつてなした厚生省に対する補助金交付申請書に添付の事業費内訳を転与して市議各員に配布したものにすぎないことが認められるから、同号証に単独事業費は零と記載されているからとて右認定を左右し得ざるものであり、また、右認定に反する原審における被控訴人荒木則夫尋問の結果の一部は、上掲各証拠に比照して輙く措信し得ない)を認めることができる。

以上認定の事実関係のもとにおいては、前示の工事請負費金七三六〇万円について、予算書(乙第一号証)の説明に、曝気槽、沈澱池、機械とのみ記載されているからとて、それをもつて直ちに右以外の工事が一切右工事請負費によつてまかなえないものと断定することを得ないものであるというべく、したがつて、右事実をもつて本件銘板の工事費金二五万円の支出につき予算措置がなされていないというべきではなく、他に予算措置がないことを認めるに足る適確な証拠はない。かえつて、原審証人増島弥吉、同小山次郎、同岩沢邦雄、当審証人木崎和三郎の各証言を綜合すると、前市長増島徳は、前段認定のように市民に率先して本件終末処理場建設の必要を説くと同時に、老齢をおして、用地買収に奔走し、精魂を傾けて、これが建設事業の実現をはかつた結果、上記のように総予算三億三千万円、昭和四二年までの五ケ年の継続事業として、終末処理場が建設されることとなつたが、前市長は、不幸、事業の完成をみない儘、昭和四〇年急逝したものであること、一方、終末処理場建設事業は、その後を現市長である控訴人に受けつがれて進捗をみ、昭和四一年初頭には、同年度中に、主たる工事がほぼ完成に達し、あとに附帯工事を残すのみとなることが見込まれるに至つたので、控訴人市長および若干の市会議員の間に、この機会になんらかの方法をもつて、終末処理場内の適当な場所に前市長の同処理場建設についての功績を顕彰する記念物を設置しようという話がもちあがつていたこと、控訴人市長およびその指揮をうける市の執行機関は、前認定の昭和四一年度の当初予算案作成、提出の段階において、なお、右前市長顕彰の記念物として、どのようなものを作るという確定した具体案までは持つに至らなかつたが、専門家、業者と相談して二、三〇万円の範囲で最も効果的なものを作る意思をもつており、これを終末処理場建設費から支出すべきこととしたが、それを同予算に計上するに、前認定のとおり一方では建設費のできるだけ多くを国庫補助金の与えられる工事としてまかないたいという要請があり、一方では右記念物工事を挙げて、万一にも国(厚生省)のなす補助金審査に合格しないこと(公共事業としての認定をうけられないこと)を懼れたことから、予算書および厚生省に提出する同年度の事業費内訳(甲第五号証参照)にこれを明らかにすることを避けたが、単独事業分として、前示工事請負費金七三六〇万円から支出すべきことは、すでにきめていたこと、ならびに本件銘板を実際に製作したのは、訴外洗足化学研究所であるけれども、控訴人市長は、本件銘板の製作につき、わざわざ、右洗足化学を前示小川工業の下請ということにして、終末処理場機械室工事を請負つていた右小川工業との間に前示のとおり、その製作供給契約を締結し、これに対して本件金二五万円を支払つて処理していることが認められるのであつて、右認定の本件銘板の意義ならびにその設置に至るまでの経緯を、前段認定の昭和四一年度の飯能市の終末処理場建設についての当初予算編成にあたつての特段の事情と考え併せるとき、本件銘板費金二五万円は前示請負工事費金七三六〇万円中に当初から含まれていたと認めるを相当とする。

そうだとすると、本件銘板の工事費金二五万円は昭和四一年度の飯能市の当初予算に含まれていないから、右工事費金二五万円を、控訴人市長が市の公金から支出、支払わしめたことは違法であるという被控訴人らの主張はその余の点について判断するまでもなく、採用し得ず、他に控訴人のなした右金二五万円の支出行為を違法とするにつきなんらの主張も立証もない本件にあつては被控訴人らの本訴請求は、失当としてこれを棄却すべきものである。

然るに原判決は右と趣を異にして、被控訴人らの請求を認容し、控訴人に対し、飯能市に金二五万円およびこれに対する昭和四一年一〇月二八日以降支払済に至るまでの年五分の金員の支払を命じたものであるから不当であつて、本件控訴は理由がある。

よつて、民事訴訟法第三八六条によつて原判決を取消して、被控訴人らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、同法第九六条第八九条第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 杉山孝 矢ケ崎武勝)

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